おたのしみかい

言葉に出したら薄っぺらいけど愛がここにあるんだ

カラフト伯父さん

とうとう、幕を閉じた『カラフト伯父さん』*1。公式サイトの「全公演終了しました」にグッとくる。

この回とこの回ではここが変わったとか、そういうのはちょっと書けない。ディテールはあまり覚えていない。席が常に後方だったというのもあるけど。ただ、神戸弁の発音が大阪に行ってから変わったような気がした、語尾の処理あたり。あと、大阪は反応がいいと聞いていたけど、ほんとに。すすり泣き、東京より全然多かった。
まとまったことは書けそうにないので、ちょこちょこ五月雨式に書いていくことにする*2
 

 

客層とかジャニーズとか

JUMPのファン層はこの話の舞台からみると若い(私からみても若い)。「DA・YO・NE」とか知っているんだろうか?
まさに老婆心そのものなんだけど、観劇では花冠はやめた方がいいと思います。双子コーデは邪魔にならないけど、花冠は微妙に視界に入り、気になるものです。頭上でのお団子がダメとかと同じだよ。
開場と同時に入った日、前方の席だった若い子たちが一瞬「キャッ」と声を上げていた。空気が読めたようで騒ぐことはなかったが、おそらく、「こんな近くで伊野尾くん見れちゃう!」的な感動によるものだと思われ。個人的には1列目はあまり見やすくないようにも思うけど。でもグローブ座*3は席数の割に見やすいね。雰囲気もあって、好きな劇場です。
それにしても。伊野尾くんをお目当てに劇場に足を運ぶ。そんな中にはきっと、これをきっかけに舞台そのものへの興味を持つ子が出てくるんだろう。歌・ダンス・芝居といった現場(生)の魅力を若い女の子たちに伝えるという意味で、ジャニーズって日本文化にものすごく貢献しているのではないかと思う。 

2005年

舞台は2005年の冬(恐らく2月中旬~下旬)。
今年は東日本大震災から4年、阪神淡路大震災から20年。震災を風化させないようにと言われているわけだけど。2005年というのは、阪神淡路大震災から10年で、ちょうど今年のように、風化させないようにという風潮があった年だったと思う。
2005年の冬と言えば、個人的には『救命病棟24時』第3シリーズ*4が放送されていたときという印象が強い。あのシリーズのテーマはまさに震災時の対応で、阪神淡路大震災で一般に知られるようになった「トリアージ」が描かれたものだった。トリアージという発想自体、世に大変な衝撃を与えたもので、それをテレビドラマで扱えるようになるまで10年かかったという見方ができる。その一方で、10年後でも生々しくてドラマを見るのが辛いという声がまだ多かったと記憶している。
徹は、鉄工所も含めて、10年前から時が止まったように生きていたけれど、きっとそういう人はほかにもたくさんいた、舞台となっているのはそんな時。 

気になるのは徹のおぼこさ。28歳にしては幼い。18歳、ないし、20歳で時が止まっているところから来ているのか。
徹を支えてくれる人が誰もいなかったかと言えば、本当はそうでもないんだろう。20歳までは親父さんと一緒に働いていたわけだし、今だってメッキ屋のサトウの親父が気にかけてくれていて*5、お願いすれば給料の前借りだってさせてくれる。でも、徹は冷え切ってしまっていて、ちょっとやそっとの温かみではどうにもならなくなっていた。

悟郎

悟郎の負債総額が気になる。弱小出版社の負債ってどれくらい?鉄工所たたんでも払いきれない?数千万じゃきかないってことか。会社を倒産させ、自分の財産(?)を担保にしていれば個人としても自己破産して。徹から見れば、どの面下げて…的な案件だけど、悟郎から見ればすがれるものなら何でもすがりたい状況。 
悟郎は知的で心優しい、ちょっと夢見がちだけど、ダンディーで可愛げがある。悟郎は千鶴子とはずっと折り合いが悪く、千鶴子は里帰り出産後、東京に戻っていないので、悟郎は徹と一緒に暮らしていなかったことになる(離婚前の東京・神戸を行き来していたときでも、東京に仕事があった悟郎としては神戸で暮らしていたとは言えない程度だっただろう。またそれは、徹が物心つくかつかないかといった頃だっただろう)。そう考えると、そもそも、父親として機能していたことなど、恐らく一度もなかったかと思われる。徹のカラフト伯父さんに対する気持ちというのも、いわゆる父親へのそれではなく、ちょっと違うものをイメージしなければならなさそう。また、それなりに顔を出していた時期が幼稚園の入園式とか卒園式とかとあって、千鶴子が亡くなったのがいつか明らかではないのだけれど、小学校の卒業式くらいには姿を現さなくなっていたような感じか。

カラフト伯父さん

千鶴子は幸せだったと言う。徹が生まれる前から悟郎との関係は悪く、出産で里帰り後は東京に戻らず。それでも、賢治のカラフト紀行の本は悟郎から千鶴子へのプレゼントであって、大切な思い出。千鶴子による「カラフト伯父さん」という呼び名には、大切な思い出をくれた人という意味が込められていそう。
千鶴子は徹に対して悟郎のことを悪く言うようなことは、恐らくしていない。徹にとってカラフト伯父さんは優しく頭のいい、ここぞというときに来てくれる憧れの存在。期待が大きいほど、裏切られたときにはその反動が大きくなる。

徹と悟郎

悟郎は「2年いや3年ぶり?」と言っていたが、本当は8年ぶりなんだろう。親父さんの葬式以後、悟郎が来た気配は会話からは感じられない。
この時間感覚の差、会いたい気持ちが一方通行であったことに徹は改めて絶望したのではないか。
会いたいと心から求めていたときに音信がないというのは、積極的にいやなことをされるよりも、心に残るものなのかもしれない。震災のときの思いがあったからこそ、2年後の親父さんの葬式のときはすでにこじれちゃってて、世話になりたくないって方向に行ってしまった。それに気づくことないカラフト伯父さん。
カラフト伯父さんに対しては、10年前から憧れとか信頼といったものが崩れつつあって、8年前にはそれが決定的になっていて。今回来た悟郎は自称カラフト伯父さんだったけど、はじめから信頼なんてものは失われていたので、徹の態度は拒絶しかないし、これ以上壊れる何かもないので、絶望に絶望が上塗りされているような状況では、わらうしかない。
悟郎が本当のカラフト伯父さんになったのは、徹が自分の気持ちを吐き出したのを聞いてから。徹の気持ちを聞き、受け入れて、「今夜、徹のために」ってところで、悟郎はようやく、カラフト伯父さんとなる(徹に認められる)。
 

仁美

個人的に一番感情を置きやすかったのは、仁美。悟郎と徹はどうなるのか、見届けるという意味で。そして温かみ担当。
仁美が言っていたおねえさんたちの技(?)については、私もちょっと想像が及ばないところがある…碁石の色*6

賢治のカラフト行き、オホーツク挽歌

悟郎は頭がよくて、知的だけど、どこまで宮沢賢治を知っていたかは未知数。『銀河鉄道の夜』はもちろん読んでいた。相当読んでいたのではないか。
宮澤賢治には「オホーツク挽歌」という詩がある。カラフトでの心境を書きとめたもので、あの詩を賢治が妹とし(とし子)と魂の交歓をするために樺太に行った際のものとする解釈は確かに存在する。悟郎の出版社から出された本もそういう内容だったのだろう*7。 

本当の幸い

劇中に何度も出てくる「本当の幸い」とは何を指しているのか。これは、誰が誰に言った「本当の幸い」なのかによって違うような気がする。
 
まず、賢治の考える「本当の幸い」をおさらいする。例えば『銀河鉄道の夜』に出てくる「本当の幸い」*8。自らを犠牲にしても他者に幸せになってほしいという気持ち、だけではない。自分の幸せ、個人の幸せ、ある一人が幸福感で満たされることではなく、みんなが幸せになることこそが「本当の幸い」となっている。また、賢治は文学作品ではないが、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という考えを示している。

銀河鉄道の夜』に出てくる自らを犠牲にしてという考え方*9は、徹と少し重ねている部分があるのかもしれない。震災後、生きている自分を責め続けて、自分があのとき死んでいればと考える徹。徹も最後には自分の人生を生きるべく、鉄工所・軽トラ・毛布といった、自分を何とか守るために閉じこもっていた殻から出る。

 
悟郎の考える「本当の幸い」とは何か。仁美の子どもの子どものそのまた子ども…といったセリフからは、今すぐには叶いそうにないけれどいつかという希望的観測が見てとれる。これは賢治のいう世界全体の幸福と見てもいいのだろう。
その一方で、悟郎は「生きる」ことについても語っているが、これは宮沢賢治へのアンチテーゼのようにも思える。世界全体の幸福というのが、いつか未来には来るかもしれない、けれども、辛いこと苦しいこと痛み恨みがあることこそが、人が生きているということなんじゃないか。なにもないただ幸せというのは生きていることにならないのではないか、辛いことなどがあっても、支え合って乗り越えていくことが生きるということなんじゃないかと。
 
それでは、死んだ千鶴子が「本当の幸い」を探しているというのはどういうことなのか。『銀河鉄道の夜』ではジョバンニがみんなの「本当の幸い」を探すと言い、カンパネルラに一緒に進もうと言う。カンパネルラはそれに対して「ああきっと行くよ」と返事し、同時にほんとうの天上を見つけ、自らの死によって悲しませてしまった母を見つける。徹は『銀河鉄道の夜』を読んでいる。「カンパネルラ!」という印象的なセリフは恐らく、この、カンパネルラがいなくなってしまう直前のシーンを思い起こしたものと思われる。そう考えると、天上を目前にしたカンパネルラから母親が見えていたように、徹の母は天上から徹を見ていて、徹は母に呼びかけたくらいは解釈できそう。
その一方で徹は宮澤賢治の研究書を出版したわけではないから、さすがに「本当の幸い=世界全体の幸福」とは考えていないだろう。カラフト伯父さんこと悟郎もそんな風に、小さな子どもである徹には言っていないだろうし。ここは、母・千鶴子は息子・徹の幸せを願い続けているという、ごく平凡ではあるが、カラフト伯父さんなりのメッセージなんだろうと思う*10。そう考えると、カラフト伯父さんもサザンクロスのようにピカピカ照らす、徹を守ると言っているのは、亡くなった人とまさに同じポジションであって、近くに寄りそうことはできないが、おまえのことを思っている人はいるんだという、何とも言えない現実味のある距離感なんだなあとか。
 

あの日、僕らは何を失ったんだろう… 

*1:これを観るきっかけとなったのは戸次さんの『スタンド・バイ・ユー』で、あちらの舞台ではミムラさんが初舞台だった。こうして、人が新しいことに挑戦して成長していく様を見ることができて、何かすごく栄養をもらった気分。あと、たぶん松永さんの名前がなければ、観ていなかったようにも思うので、松永さんにもお礼を言いたい気持ちでいっぱい。

*2:お猿のチンチン電車?汽車ぽっぽでしょう?とか、「さいわひ」はサイワイと読むのに「ほんたう」はホンタウと読むの、なぜ?鎌倉時代の人なの!?とか、どうでもいいけどツッコミたい細かいことはちょこちょこある。戯曲読みたい。

*3:2回目。『Cat in the Red Boots』(2006年・生田斗真主演)以来。このときもフライヤーに惹かれて行ったらしい……

*4:大泉洋、全国放送連続ドラマ初レギュラー。

*5:近所の人っぽい。そしてメッキ屋にはコンピュータを使えるような若者がいないとなると、徹と同じような生き残った人なのかもしれない。

*6:高級な碁石の場合、黒と白で素材が違うため、確かに指で持った感触は違ってくる。でも!

*7:個人的にはその読み自体に疑問を覚えなくもないが……

*8:表記にはバリエーションがあるが、とりあえずここは漢字で。

*9:賢治は、自己犠牲を本当の幸いにつながるものとしては描いていない。

*10:いくつか感想を読んでみたところ、解釈が分かれているように感じた。自分の捉え方がだいぶずれているのかもしれない。